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【デザイナー兼テーラーアーティスト】Tae Yoshidaさんの場合 〜vol.2〜

  • 執筆者の写真: 萌美 椎橋
    萌美 椎橋
  • 2023年10月15日
  • 読了時間: 6分

更新日:2023年10月24日



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日本のアパレル企業にてヒット商品を出すなど、数多くの活躍をしてきたTae Yoshidaさん。

「好き」を仕事にすることへの葛藤と、「テーラーアーティスト」という新たな自分への可能性について語ってもらった。


Q. デザイナーになろうとしたきっかけはなんですか?

Tae Yoshidaさん(以下、Taeさん):母親が裁縫をよくしていて、洋服作りが身近にあったんです。小学生くらいのときには、家族が着ない服をリメイクしたりしていましたね。

椎橋萌美(以下、ばし):すごい。身近に作る環境があったんですね。

Taeさん:作ったものを友人に褒められたりすると、それがとても嬉しくて。「私、服飾系の才能あるかも」って思って(笑)。

ばし:その頃には既に「これで食っていこう!」という気持ちが芽生えていた、と。

Tae:明確にそう思ったわけではなかったかもしれないですけどね。でも、「洋服が好き」「もっと洋服に関わりたい」って気持ちは明確にあったので、それじゃあどの学校に通えばそれを実現できるか、目指すためのルートはなにか、など考えていました。



Q.「好き」を仕事にして感じたことは?

ばし:晴れて服飾関係の仕事に就くことができたTaeさん。実際に「好き」を仕事にしてみてどうでしたか?

Tae:誰かの力になることをするのは大好きだったので、会社で働いて、社会に彩りを与えることにはやりがいを感じていました。

ばし:憧れの職種に就けたときって毎日がワクワクしますよね。

Tae:最初のうちは、本当に楽しくて。ただ、月日を重ねるごとに就職した先のスタイルが自分の好みとは違うことが気になったり、どうしても「売れる」という目線で服をデザインしていかなくてはならないことに憤りを感じ始めました。

ばし:「売れるものを作る」って、アパレルに限らず、すべての企業で起こりうる現象ですよね。

Tae:商売ですからね。それも大事だとは分かっているんですけど。でも、サンプルを作っていてもボツになった途端、大量の生地が無駄になったり……。組織に所属しているとだんだん麻痺していくんです。「まあ自分が気に入っているデザインじゃなかったし、しょうがないか」って。

ばし:「好き」を作っていきたかったのに、「売れるもの」を作っていくうちに自分の「好き」を無視していくような心境に陥っていった、と。

Tae:はい。「自分が本当にやりたかったこと」がわからなくなってしまったんです。



Q.「もうやめたいと思ったことは?

Tae:実はやめちゃったんです。

ばし:え!? やめてしまった!?

Tae:はい。「本当にやりたいこと」が分からなくなってしまって。日々の繰り返しにフラストレーションが溜まっていって。

ばし:慣れてくればくるほど、同じことのループに陥ることは往々にしてありますよね。

Tae:それでリフレッシュしようと思ってニューヨークに語学留学したんです。

ばし:一度「好き」から離れたんですね。

Tae:はい。コーヒーが好きだからカフェとかで働こうかな、なんて思ったりしたんですけど。

ばし:けど?

Tae:恋しくなっちゃって。

ばし:服に携わることが?

Tae:はい。やっぱり「好き」だから、やめられませんでした(笑)。

ばし:最高〜!

Tae:今までやってきたこと、経験してきたことをゼロにするのがもったいないって気持ちもありましたし。

ばし:すべての経験があってこそ、今のTaeさんがあるわけですもんね。

Tae:それで、自分が好きなことをどんな形にしたら実現できるか考えました。デザインを考えるのも好き、でも実際に手を動かして作りたい。じゃあ、それをまるごと「私の仕事」にしちゃえばいいじゃん、って。

ばし:好きなことを好きなように仕事にする。フリーランスの強みですね。

Tae:そのことに気がついて、すごく道がひらけた感じがしました。



Q.ニューヨークに行って感じたことは?

ばし:現在は「テーラーアーティスト」としても活躍していきたい、とのことですか。

Tae:はい。日本にはまだ浸透していない職業ですね。

ばし:具体的にはどのようなことをする職業なのですか?

Tae:簡単に言ってしまえばスピーディーな仕立て屋さんですね。

ばし:速さが重要なんですね。

Tae:撮影現場にミシンごと持っていって、モデルにフィッティングし、その場で直す、というようなことを求められたりします。

ばし:それは速さと正確な縫製技術が求められますね。加えて、Taeさんはリメイクも行っているとか。

Tae:日本で働いていたときに、生地のロスへのもったいなさがすごくあって。できるだけ、長く、大切に着てほしい気持ちがリメイクの根源にあります。

ばし:思い入れのある服が、新たなデザインになってリメイクされていく……。その洋服と一緒に生きている感じがしますね。

Tae:デザインし、手も動かしたい。まさしく自分がやりたかったことを、ニューヨークで目の当たりにしたんです。



シミのついたパンツにペイントを施し、新たなデザインに生き返らせたリメイク作品。


Q .あなたの「今の夢」はなんですか?

ばし:多くのものを見て、考え、進み続けるTaeさん。今の夢はありますか?

Tae:ニューヨークで得たものを日本で発信すること。また、逆に日本人として日本の良いカルチャーをニューヨークで発信することが今の夢です。いずれは、世界中でそれができたら最高ですね。

ばし:洋服が、日本と世界がつながるための架け橋になるわけだ!

Tae:それから「縫製」の素晴らしさをもっと広めたいです。

ばし:縫製?

Tae:生地を縫ったりする作業って、一見地味に見えるでしょう?

ばし:うーん、確かに。あまり日の目を浴びないものかも……。

Tae:一昔前の日本は、縫製の技術が世界でとても評価されていたんです。でも今は工場もどんどんなくなってしまっている。人気職じゃないから。

ばし:日本の技術はブランドでしたよね。今は中国に負けてしまっている気がします。

Tae:そういう評価になっているのがとても悲しいんです。「縫う仕事」だってアートなんです。技術者であり作家です。だからそれを「テーラーアーティスト」として、広めていきたいです。


帽子のサイズを手際よく大きく調整。


Q.「好き」を仕事にしようか迷っている人にひとことお願いします。

Tae:「好き」を仕事にしたからこその葛藤はありました。でも今は「仕事も趣味のひとつ」って考えています。独立したから余計にそう思えるのかもしれません。

正直、補償もないし、不安定だし、すべて自己責任なので過酷なことばかりです。でも、その先に見える幸せを確信して走っています。

どういうやり方が自分にあっているのか。独立は、その手段のひとつです。きっと人によって様々な形があると思います。

正直悩みばかりです。でも、日本での経験が、今まで生きてきたすべての経験がなければ今の自分はありません。無駄なことはなにひとつありません。いろんな壁の先に、幸せな未来が待っている。人生一度きりですから。やりたいって思っていることを、もっと自由にできる日が来るのが今から楽しみです。



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Tae Yoshida

1987年、広島県出身。文化服装学院 アパレルデザイン科卒。

国内のアパレルメーカーでデザイナーとして活躍。

ニューヨークへの渡米を期に、テイラーアーティストとしての可能性に目覚める。




 
 
 

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